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おさんぽ♪

 ここのところ日差しが強くて、昼間のお散歩はパスして、もっぱらおうちで水遊びだったのですが、だいぶ日差しが和らいできたのでお散歩再開です。
 これまで縦型のベビーカーを使っていたけれど、二人の体重が重くなるにつれコントロールが困難に。子供が出来て、お散歩するようになって初めて気づいたのだけど、道路って水はけのために側溝側が低くなっていて、まっすぐじゃないんです。だから、車を避けようと道路の端に寄ると、危うく溝に落ちそうになることも。で、これはもっとコントロールが簡単な軽量タイプのベビーカーにするしかない!ってことで、ネットで評判の良かったものを2代目として購入。2台も買うのはもったいないと、ずいぶん悩みましたが、これは買って正解!「今までのは何だったの?」ってくらいスーイスイ♪ もっと早く決断していればよかった。今まで後部座席で景色が見えづらかったアオイも、大喜び。


とは言ってもまだまだ日差しが強いので、タオルのひざ掛けをしてGo!
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# by futagomom75 | 2007-09-15 17:11 | 1歳2ヶ月

1年間、いろいろありましたぁ~♪   (後編)

生後11ヶ月
 二人とも、ハイハイをしない子なのですが、(母もしない子だったらしい)11ヶ月に入ってユウキが自分であみ出した「移動技」をするように。 お座りの姿勢で、まず左足首を右足首にひっかけてお尻を引き寄せ、今度は右を左にひっかけて引き寄せ…この繰り返しで移動するという技。誰が教えたわけでもないのに、どうやって思いついたのでしょう? アオイもやっと寝返りが出来るようになりました。

子育て支援センター内のボールプールにて。
ユウキ、かなりビビッて固まっちゃってます。アオイは沢山のボールに大はしゃぎ。
                                             (11ヶ月)
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愛車の縦型ベビーカーでお散歩。           (11ヶ月)
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1歳 ☆彡
 二人とも元気で1歳のお誕生日を迎えることができました。母、感激!ヾ(*´∀`*)ノ゛
 本当にありがたいことに、二人とも超健康優良児で、ユウキが8ヶ月の時に一度発熱したものの一日で回復。アオイは一度も体調をこわした事がなく、一年間風邪すらひきませんでした。 親としては、何よりうれしいことです。
 体のほうも、ずいぶんと大きくなりました。一歳検診時の身長・体重は、
ユウキ・・・78.6cm・11.15kg  アオイ・・・74.0cm・9.785kg とかなり大きめ。
特にユウキの体重は、発育曲線の上限ぎりぎりです。(; ̄д ̄) これからあんよするようになったら、きっとスリムになるよね。

お誕生日に一升餅を背負う儀式を、一応形だけしました。
これで一生、食べ物に困らないでしょう。
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じいじとおばあちゃんから、プレゼントをいただきました。よかったね。
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母からは、知育絵本をプレゼント。「仲良くみてね。」
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お誕生日の夕食は、いつもよりちょっとおしゃれにお子様ランチ風♪
砂糖・生クリームがまだ早い子供たちに、手作りアンパンマンケーキ。
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1歳1ヶ月
 二人ともゆっくりさんで、まだ自分ではたっちできないのですが、立たせてあげると、短い間ならつかまり立ちはできるようになりました。ユウキはますます移動がスピーディーになり、追いかけるのが大変です。アオイが全く自分で移動しようとしないのがちょっと心配ですが、おすわりも、寝返りも、遅ればせながらちゃんと出来るようになったので、本人がやる気になるのをじっと待ちたいと思います。運動面ではちょっとゆっくりさんのアオイですが、お口がかなり達者になって、しかもかなり勉強熱心です。本がとにかく大好きで、知らないものが出てくると、「こえぱぁ?」(これは?)と質問してきます。ユウキはまだ「バブバブ」止まりです。二人をたして2で割るとちょうどいいのになぁ~。一年ちょっとで、かなりキャラクターがはっきりとわかれてきました。

       むちむちあんよで「たっち!」
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       「こえぱぁ?」
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       「今、お勉強中なの。」
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「双子の会」に行ってきました。初めての外ご飯にアオイはワクワク、ユウキはそわそわ。
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 ふぅ~。駆け足で一年ちょっとを振り返ってみましたが、本当に二人とも大きくなりました。
小さく生まれて、オッパイが吸えない時期があったなんてウソのようです。大変なこともあったけど、たくさん笑わせてもらいました。これからの一年も、もっともっとめざましく成長するんだろうな。わたしもお母さん一歳になったばかり。成長するにつれて新たな悩みも出てくるんだろうけど、過ぎてみればいい思い出になると信じて乗り越えて行きたいと思います。
# by futagomom75 | 2007-09-13 16:53 | 11ヶ月~1歳1ヶ月

1年間、いろいろありましたぁ~♪   (前編)

 いきなり想定外の壁にぶつかり、前途多難・・・大丈夫か??と思われた双子育児スタートでしたが、何とか気力と家族の協力、そして子供たちの成長を励みにここまでくることができました。ありがとうございます!
        。" ゚☆,。・:*:・゚★o(´▽`*)/♪Thanks♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚"
 
★一年間の思いでアルバムです★
生後3週間目
ユウキがやっとオッパイを吸えるようになりました (*´ー`)  しあわせ♪
このころは美容院へも行けず、中途半端な髪をバンダナでまとめていました。
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アオイはまだオッパイが飲めません(T_T) 搾乳した母乳を、哺乳瓶からゴクゴク。
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生後1ヶ月~2ヶ月
 誕生してから最初の一ヶ月は、まだ昼・夜の区別がなく、連日24時間営業状態で、かなりハードだったのですが、この頃になると夜11時~明け方3時くらいまでまとめて寝てくれる日が多くなり、私もだいぶ睡眠が取れるようになって楽になってきました。
 また、最初の一ヶ月は、ユウキがとにかくよく泣く子で、抱っこしていないと泣く。寝たな..と思って横にすると、背中のセンサーが即座に反応!とにかくずーっと抱っこしていました。
アオイはお腹がすいたと時とオムツが不快な時意外は静かに眠っている、手のかからない子でした。
 しかし...一ヶ月半頃から選手交代!ユウキはほとんど泣かない、いつもご機嫌な手のかからない子に変身。
反対に、アオイが誰があやしても一向に泣き止まない困ったチャンに。特に、母である私を激しく拒否 (´_`。) …相当落ち込ませてもらいました。(=´▽`)ゞ  今でこそ笑って話せますが、当時の私は、母親を拒否する赤ん坊なんて、またもや想定外!「オッパイを何とか吸ってもらおうと、しつこくしすぎて嫌われちゃった?..」と、自分を責めてプチうつ状態になったりしました。
でも、二人同時にそうならなくて助かりました。君たちは親孝行だよ。

アオイ「ギャオース!」 ユウキ「・・・・・」 あまりのど迫力に目がテン (@_@;)
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生後3ヶ月~4ヶ月
 だいぶ双子育児にも慣れてきた頃です。しかし、アオイのいわゆる「黄昏泣き」が勃発。
毎日決まって、夕方4時頃から7時頃まで火がついたように泣き出し、どうあやしても「ギャオース!」
頭の血管が切れるんじゃないかと、何度も心配しました。小さい小さい怪獣に、大人は振り回されっぱなし。家族の間では、この時間を、「恐怖の時間」と呼んでいました。ユウキはいつもご機嫌さんで、「うっくん!うっくん!」とかわいいおしゃべりで家族を和ませてくれました。
 3ヶ月頃には、二人の表情も、だいぶ男の子&女の子らしくなってきました。そして、3ヶ月の終わりまで、オッパイが上手に吸えないアオイのために頑張って搾乳を続けてきましたが、夜中の搾乳に体力が限界。ここまで頑張ったし…と自分に言い聞かせて、ミルクに切り替えました。ユウキはオッパイがないと眠れない癖がついてしまい、これまで通りミルクと混合で与えていくことにしました。
 4ヶ月の終わり頃には、首がしっかりすわって、抱っこが楽になりました。

「ガッチュだじぇ!」ユウキはげんこつを振りかざして眺めるのがマイブーム。 (3ヶ月頃)
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「あたし、こんなおすまし顔だけど、泣くとすごいのよ。」 (3ヶ月頃)
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まんまる全開! (●^o^●) (4ヶ月頃)
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生後5ヶ月~6ヶ月
 アオイの黄昏泣きが落ち着き、やれやれ…と思いきや、今度は人見知り。お正月には、親戚に初のお披露目となりましたが、知らない人ばっかりの独特な雰囲気にまたもや大泣き。でもお家ではいつもご機嫌で、歌や手遊びにも興味が。「ぐーちょきぱーでなにつくろー♪」とやると、にこにこしながら、自慢げに手をにぎにぎさせるようになりました。ユウキは残念ながらお歌にはあまり関心がないようです。 (T_T) これも個性ってことで…。
 5ヶ月半からは離乳食をスタートしました。また、何でもお口に運ぶようになり、よだれがピークに。ほっぺ&あごが荒れてブツブツ・ざらざらになっていました。

うつ伏せにするとグーンと首を持ち上げられるようになりました。でも二人ともまだ寝返りをしません (^^ゞ  また、髪が生え変わる時期で、枕にはひよひよの髪の毛がいっぱい。ユウキの頭、バーコード状態です。アオイはおっ立っちゃってます。  (5ヶ月頃)
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生後7ヶ月~8ヶ月
 この頃になると、お座りがだいぶ安定してきました。でも油断すると後ろへゴローン。
まだまだ油断禁物です。8ヶ月にはユウキの歯が生え始めました。アオイは、「わんわ」・
「ないない」と意味のある言葉を話し出すようになりました。

         アオイ、初節句。おひな様と。        (もうすぐ8ヶ月)
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生後9ヶ月~10ヶ月
 9ヶ月に入って、アオイの歯も生え始めました。「何でもお口へ運んでまず味見」は4・5ヶ月頃からしていたことですが、この頃になると、がしがし噛むように。歯茎がむず痒いのかしら?
ユウキはオッパイも噛むようになり、その痛みに耐えかねて卒乳。「オッパイがなくて眠れるかしら?」と心配でしたが、割とすんなり卒乳することができました。
 そして、10ヶ月に入って、ユウキがやっと寝返りをマスターしました。

「いないいないばぁ だーいスキ!」 4月からことちゃん登場。
アオイ、後頭部はげちゃってます。        (9ヶ月頃)
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一緒にカミカミ。                    (9ヶ月頃)
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いろいろ変化してきた指しゃぶり、二人ともこのスタイルが定番に。
おなじ指で左右対称!
アオイは左手を添えるのが本人流のお作法。   (10ヶ月頃)
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ユウキ、初節句。「おいおい、へんなもん被せるなよっ!」  (10ヶ月頃)
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*つづきは後編で…
# by futagomom75 | 2007-09-10 22:33 | 0ヶ月~10ヶ月

我が家に赤ちゃんがやってきた!

 赤ちゃんがいる家庭に憧れていたころ想像していたのは、ミルクの香りがほんのりして、緩やかな時間が流れるやさしい空間・・・。
でも現実はそんなほのぼのムードとは程遠いものだった。
 出産から5日目に久々の我が家に子供たちと一緒に帰ってきた。玄関をくぐる時、自分の家なのに、なんだか照れくさいような不思議な気分だった。
 3時間おきの授乳。しかも私の出産した病院は母子同室でかなりスパルタ。入院中は一睡もしていない。体も頭もフラフラですぐにでも横になりたかったが、小さく生まれたうちの子供たちは、まだおっぱいから直接飲む力がなかった。息つく間もなく、退院時に売店で買ってきた搾乳器で絞る作業が待っていた。
 あまりにもヨレヨレの私を見て、家族は眠るように勧めてくれたが、授乳が終わるとすぐ、次回の分の搾乳をしなければならず、結局24時間授乳~搾乳~授乳~搾乳・・・で眠るどころか横になる暇すらない。赤ちゃんが健康に育つためには、栄養たっぷりの初乳を与えなくてはならないという強迫観念に縛られていた。
 こんなことは全く想定外だった。赤ちゃんはみんな、当たり前のようにお母さんのオッパイを吸えるものだと思っていた。いきなり壁にぶち当たってしまった。
 退院から4日目に、市の保健婦さんが様子を見に家に来てくれた。彼女も双子のお母さんとのことだ。同じように大変な経験をしてきた先輩だ。「私もそうだったよー。でも永遠に続くことではないから、だんだん楽になるものだから。」説得力のある言葉にとても勇気付けられた。緊張の糸がプツンと切れて、涙がでてきてしまった。
血圧を測ってもらったらかなり異常な値になってしまっていた。妊娠中もずっと正常値だったのに。
足もパンパンにむくんで正座が出来ない状態だった。「眠らなくても横になるだけでだいぶ休まるものよ。おかあさんが病気になったら困っちゃうでしょ。」そのとおりだ。その日から努めて横になって体力の回復を最優先することにした。なるべくなら母乳で・・と思っていたが、こだわらずミルクにも頼ることにした。
 こうして私の泣き笑いの双子育児がスタートした。
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誕生から約3週間、
だいぶふっくらしてきた
アオイ(左)とユウキ(右)
# by futagomom75 | 2007-09-09 12:01 | 双子育児スタート

出産までの道のり

 ユウキとアオイを授かるまで、本当に長い道のりだった。
40歳を過ぎて双子を出産するという大事件(私にとっては)が起きることなど不妊に悩んでいた当時の私は、想像すら出来なかった。
 当時の日記と記憶を元に、改めて振り返ってみることにした。

 2005年初秋、結婚7年目。
40歳の誕生日を迎え、私は人生最大の選択を迫られていた。
子供がほしいと思い、不妊治療を始めて4年・・・。結婚したら、多くの友人・知人たちがそうであったように、すぐにでも授かると思っていた。でもなかなか授からない。意を決して始めた治療だった。検査の結果、特に不妊の原因となるものは見つからなかった。それでも願いが叶わないまま、こんなに年月が過ぎてしまった。
病院からもらった資料によると、一般的に不妊治療で子供を授かる人は、治療開始から5年以内に授かっているとのこと。
つまり5年以内に妊娠しなければ、それ以上治療を続けても、妊娠できる可能性はほとんどないということだ。
「もう先がない・・・」年齢的にもだが、期待しては落胆、また期待しては落胆・・・その繰り返しに精神的にもぎりぎりの状態にきていた。出口の見えない暗闇に迷い込んでしまったような恐怖心でいっぱいだった。
 職場にもカミングアウトしていたが、不妊治療の性質上、頻繁な通院を要求される上、予定が立てづらい。上司や同僚に理解をしてもらっていたものの、「自分の個人的なことで他人に迷惑をかけている」という罪悪感がつきまとい、焦りが余計にふくらんでいった。「こんな精神状態も治療の妨げになっているのかも..」と思い、退職して治療に専念する
ことも本気で考えたが、そこまでして確実に妊娠に至る保障はどこにもない。
お金がかかる不妊治療・・・辞めてしまえば金銭的にもきつくなってくる。そんなジレンマがいつもつきまとっていた。
 妊娠に良いとされることは片っ端からやってきた。サプリメントや漢方薬、ウォーキング
etc..。この先、もし子供のいない人生を選択することになってしまっても、未来の自分が納得するだけの「これだけのことをしたんだ。それでも...」という、言い訳材料が一つでも多く欲しかった。

 2005年初め、ようやく妊娠できたものの8週間でその命は消えてしまった。
これまでの人生で、最大の悲しみだった。もう立ち上がれないと思った。今でもあの日のことは、一日たりとも思い出さない日はない。
 恐れていたOHSSも経験した。
薬の副作用で卵巣が腫れ、腹水が溜まり痛みに苦しんだ。
「もう潮時なのかもしれない」・・でもそんなに簡単に諦められるものではない。子供がいるといないとでは、まったく違う人生になってしまう。それでも近い将来、決断しなければならない。タイムリミットがすぐそこまできている...。
 
 そんな追い詰められた心境の中で、月日が経つにつれ「あの子は私がお母さんになれるんだということを教えに来てくれたのかもしれない・・」と少し前向きに考えられるように
なってきた。
「もうすこしがんばってみよう」 再び私の足は、懲りずに病院へ向かっていた。
 そして、それからまもなく、冬の足音が聞こえ始めたころ奇跡が起こった。

2005年11月26日(妊娠5wk) 胎のう確認&双子であることが判明
      12月 9日(妊娠7wk) 心拍確認
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中央左寄り、縦に2つ並んだ
黒い丸が胎のう。

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胎のうの大きさは約6ミリ


 うれしかった。妊娠!しかも双子とは!モニターに映し出された2つの小さな「まる」は、まさに暗闇に見つけた光だった。
 最初は何だかピンとこなかった。双子の育児をしている自分が想像できなかった。
そして、うれしい反面とても怖くなった。
11ヶ月前、ちょうど同じように寒い季節の流産の恐怖がよみがえる。
 とにかく暖かくして慎重にすごした。「なんとしてでもこの命は守らなくては」
祈るような気持ちだった。それからまもなくつわりの症状が出始めて会社に行くのも
困難になってきた。
「赤ちゃんが自分の身を守るため私を動けないようにしてるんだ」子供たちからのメッセージに素直に従うことにした。そして約17年半勤めた会社を退職し、養生に努めた。

 妊娠して間もなく、Dr.から高齢出産+多胎妊娠がいかにハイリスクであるかという説明があった。しかし、妊娠中は時折お腹が張るくらいで、意外なほど順調だった。
でもさすがにお腹に二人も入っているだけのことはあって、中期にはすでに臨月並みの大きさとなり、常に胃が圧迫されていて、気分が悪かった。そのおかげで太りすぎは防げたが..。
苦しくて寝返りも困難になってきて、寝不足が続いた。

 25週目には、男女の双子であることもわかった。夫と名前を考えたり、将来のことを語り合い楽しい時をすごした。
 32週~35週は病院の方針で管理入院となった。入院中の34w4d、逆子だったアオイが突然の大回転!強烈な痛みを伴ったが、正常にもどった。当初、帝王切開を予定していたが、経膣分娩でいけるとDr.から告げられた。
 「双子+高齢」とくれば、無条件で帝王切開になると思い込んでいたが、こちらの病院では双子でも4割が経膣分娩とのことだった。
 35w5d、退院。退院したものの、ものすごい状態のお腹で何も出来ず、横になって過ごしていた。「人間の皮膚というものは、こんなに伸びるんだ」と感心したりもした。
胎動もますます激しくなり、痛いほどだ。それなのに、まだ出産予定日まで4週間もある。大丈夫なのだろうか? でも、もう少しで夢にまで見たわが子に会える..。その思いだけで、必死に苦しさに耐えた。


出産1週間前のお腹。
「苦しいよぉ~!」青筋たっちゃってますから(>_<) でも意外と妊娠線は少なめ。
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2006年7月4日(36w6d) 朝、9時ごろ破水し病院へ。入院となる。
      7月5日(37w0d) 出産
13時38分、ユウキ(男の子)誕生。2412g
13時43分、アオイ(女の子)誕生。2380g


 破水から一夜明けても陣痛がおきず、促進剤を使うことになった。注射から約1時間後に突然10分間隔で陣痛が始まった。今まで味わったことのない激痛で腰の骨が砕けそうだった。しかし、Dr.によると陣痛が始まって4時間で生まれるのはとても早いほう、だそうだ。
また、ふたりの生まれた間隔が5分というのも最短とのことだ。なんと親孝行な子供たち
だろう。
 元気に生まれてくれた二人との初対面は、とても感動的だった。二人のほっぺをDr.が
私の頬にくっつけてくれた時の暖かさは一生忘れない。
また、二人とも予定日より3週間早い出産にもかかわらず、割と大きく生まれてくれ、NICUにもお世話にならずに済んだ。
 それにしても、こんなハイリスク妊婦にもかかわらず、普通分娩をさせてくれたDr.には感謝せずにはいられない。
 本当に、子供たち、夫、家族、自分がかかわってきたすべての人たち、目に見えないもの、そして、産んであげられなかったあの子に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

みんなありがとう!  ヽ(´с_,` )ノ


生後5日目のユウキ(右)とアオイ(左) 病院から帰宅した時の初ショット。
この瞬間を夢見て、妊娠中にコツコツ縫い上げたハンドメイドのキルトの上で。
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# by futagomom75 | 2007-09-07 22:49 | 不妊~妊娠~誕生