カテゴリ:不妊~妊娠~誕生( 1 )

出産までの道のり

 ユウキとアオイを授かるまで、本当に長い道のりだった。
40歳を過ぎて双子を出産するという大事件(私にとっては)が起きることなど不妊に悩んでいた当時の私は、想像すら出来なかった。
 当時の日記と記憶を元に、改めて振り返ってみることにした。

 2005年初秋、結婚7年目。
40歳の誕生日を迎え、私は人生最大の選択を迫られていた。
子供がほしいと思い、不妊治療を始めて4年・・・。結婚したら、多くの友人・知人たちがそうであったように、すぐにでも授かると思っていた。でもなかなか授からない。意を決して始めた治療だった。検査の結果、特に不妊の原因となるものは見つからなかった。それでも願いが叶わないまま、こんなに年月が過ぎてしまった。
病院からもらった資料によると、一般的に不妊治療で子供を授かる人は、治療開始から5年以内に授かっているとのこと。
つまり5年以内に妊娠しなければ、それ以上治療を続けても、妊娠できる可能性はほとんどないということだ。
「もう先がない・・・」年齢的にもだが、期待しては落胆、また期待しては落胆・・・その繰り返しに精神的にもぎりぎりの状態にきていた。出口の見えない暗闇に迷い込んでしまったような恐怖心でいっぱいだった。
 職場にもカミングアウトしていたが、不妊治療の性質上、頻繁な通院を要求される上、予定が立てづらい。上司や同僚に理解をしてもらっていたものの、「自分の個人的なことで他人に迷惑をかけている」という罪悪感がつきまとい、焦りが余計にふくらんでいった。「こんな精神状態も治療の妨げになっているのかも..」と思い、退職して治療に専念する
ことも本気で考えたが、そこまでして確実に妊娠に至る保障はどこにもない。
お金がかかる不妊治療・・・辞めてしまえば金銭的にもきつくなってくる。そんなジレンマがいつもつきまとっていた。
 妊娠に良いとされることは片っ端からやってきた。サプリメントや漢方薬、ウォーキング
etc..。この先、もし子供のいない人生を選択することになってしまっても、未来の自分が納得するだけの「これだけのことをしたんだ。それでも...」という、言い訳材料が一つでも多く欲しかった。

 2005年初め、ようやく妊娠できたものの8週間でその命は消えてしまった。
これまでの人生で、最大の悲しみだった。もう立ち上がれないと思った。今でもあの日のことは、一日たりとも思い出さない日はない。
 恐れていたOHSSも経験した。
薬の副作用で卵巣が腫れ、腹水が溜まり痛みに苦しんだ。
「もう潮時なのかもしれない」・・でもそんなに簡単に諦められるものではない。子供がいるといないとでは、まったく違う人生になってしまう。それでも近い将来、決断しなければならない。タイムリミットがすぐそこまできている...。
 
 そんな追い詰められた心境の中で、月日が経つにつれ「あの子は私がお母さんになれるんだということを教えに来てくれたのかもしれない・・」と少し前向きに考えられるように
なってきた。
「もうすこしがんばってみよう」 再び私の足は、懲りずに病院へ向かっていた。
 そして、それからまもなく、冬の足音が聞こえ始めたころ奇跡が起こった。

2005年11月26日(妊娠5wk) 胎のう確認&双子であることが判明
      12月 9日(妊娠7wk) 心拍確認
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中央左寄り、縦に2つ並んだ
黒い丸が胎のう。

妊娠5w3d
胎のうの大きさは約6ミリ


 うれしかった。妊娠!しかも双子とは!モニターに映し出された2つの小さな「まる」は、まさに暗闇に見つけた光だった。
 最初は何だかピンとこなかった。双子の育児をしている自分が想像できなかった。
そして、うれしい反面とても怖くなった。
11ヶ月前、ちょうど同じように寒い季節の流産の恐怖がよみがえる。
 とにかく暖かくして慎重にすごした。「なんとしてでもこの命は守らなくては」
祈るような気持ちだった。それからまもなくつわりの症状が出始めて会社に行くのも
困難になってきた。
「赤ちゃんが自分の身を守るため私を動けないようにしてるんだ」子供たちからのメッセージに素直に従うことにした。そして約17年半勤めた会社を退職し、養生に努めた。

 妊娠して間もなく、Dr.から高齢出産+多胎妊娠がいかにハイリスクであるかという説明があった。しかし、妊娠中は時折お腹が張るくらいで、意外なほど順調だった。
でもさすがにお腹に二人も入っているだけのことはあって、中期にはすでに臨月並みの大きさとなり、常に胃が圧迫されていて、気分が悪かった。そのおかげで太りすぎは防げたが..。
苦しくて寝返りも困難になってきて、寝不足が続いた。

 25週目には、男女の双子であることもわかった。夫と名前を考えたり、将来のことを語り合い楽しい時をすごした。
 32週~35週は病院の方針で管理入院となった。入院中の34w4d、逆子だったアオイが突然の大回転!強烈な痛みを伴ったが、正常にもどった。当初、帝王切開を予定していたが、経膣分娩でいけるとDr.から告げられた。
 「双子+高齢」とくれば、無条件で帝王切開になると思い込んでいたが、こちらの病院では双子でも4割が経膣分娩とのことだった。
 35w5d、退院。退院したものの、ものすごい状態のお腹で何も出来ず、横になって過ごしていた。「人間の皮膚というものは、こんなに伸びるんだ」と感心したりもした。
胎動もますます激しくなり、痛いほどだ。それなのに、まだ出産予定日まで4週間もある。大丈夫なのだろうか? でも、もう少しで夢にまで見たわが子に会える..。その思いだけで、必死に苦しさに耐えた。


出産1週間前のお腹。
「苦しいよぉ~!」青筋たっちゃってますから(>_<) でも意外と妊娠線は少なめ。
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2006年7月4日(36w6d) 朝、9時ごろ破水し病院へ。入院となる。
      7月5日(37w0d) 出産
13時38分、ユウキ(男の子)誕生。2412g
13時43分、アオイ(女の子)誕生。2380g


 破水から一夜明けても陣痛がおきず、促進剤を使うことになった。注射から約1時間後に突然10分間隔で陣痛が始まった。今まで味わったことのない激痛で腰の骨が砕けそうだった。しかし、Dr.によると陣痛が始まって4時間で生まれるのはとても早いほう、だそうだ。
また、ふたりの生まれた間隔が5分というのも最短とのことだ。なんと親孝行な子供たち
だろう。
 元気に生まれてくれた二人との初対面は、とても感動的だった。二人のほっぺをDr.が
私の頬にくっつけてくれた時の暖かさは一生忘れない。
また、二人とも予定日より3週間早い出産にもかかわらず、割と大きく生まれてくれ、NICUにもお世話にならずに済んだ。
 それにしても、こんなハイリスク妊婦にもかかわらず、普通分娩をさせてくれたDr.には感謝せずにはいられない。
 本当に、子供たち、夫、家族、自分がかかわってきたすべての人たち、目に見えないもの、そして、産んであげられなかったあの子に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

みんなありがとう!  ヽ(´с_,` )ノ


生後5日目のユウキ(右)とアオイ(左) 病院から帰宅した時の初ショット。
この瞬間を夢見て、妊娠中にコツコツ縫い上げたハンドメイドのキルトの上で。
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by futagomom75 | 2007-09-07 22:49 | 不妊~妊娠~誕生